23/9/10/日


ゆっくり起きてゆっくり向かう。

Hさんが「大人になるといろんなところに全然行けない。笑」と言っていて、「そうだよね、そうだよね〜」と思う。名前をつける。そうか名前か〜。わたしはネーミングセンスがない。「まちを歩きながらHIPHOPだと思っている」いいね!


私は私の環世界が不安定なんです、という話を好きな人との読書会でする。相手をよく見て打ち返す。相手が投げてくる球は野球ボールか、テニスボールか、ピンポン玉か。私は相手に合わせてラケットを持ち替えて、できるだけ取りやすいように投げたいと思う。「移動すると疲れるんです。疲れたら休んだ方が良い。よく寝ることをオススメします。」と言われる。

自分のラケットを磨きたい。その時間を取らないと。それは睡眠で、身体を休め、自分をケアすることかもしれない。本来の私はこうあるべきというほどのことではない。ただそういう気分なのだ。


「昔痴漢にあったとき笑っていたけど、最近傷ついていたことに気づいた」という旨の知らない方のツイートを偶然見た。それで思い出したのは、私もここ数年、自分の受けた過去の性被害を悲しく・重く考えようとしたことだ。そのときのそれは、「気づく」ことなのか。私は当時の自分がいたまま、今の自分の見方が生まれているような気がする。昔好きだった曲がしっくりこなくなったり、逆に好きでなかった曲が好きになるみたいに、過去の自分が消失して今の自分があるのではなく、共存している気がする。「気づいた」というより、「そう考えることにした」?気づく=変わる、ではなく、気づく=新しく立ち上がる、ような気がする。つまり、とにかく、私は過去の自分がそう思っていたこともそのまま正しく切実であると思うし、今の私の考えも正しく切実だなと思う。


同じ名前のあなたとわたしは共に存在できないらしい。中身は違うのに。「置き換える」にしたとき、衝突してばーんと消えているのだろうか。「置き換える」「両方とも残す」

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