みやざきゆり

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想像する

私はすこし前まで、自分は他人の気持ちがわかるやつだと思っていた。だけど今は、自分に他人の気持ちなんてわかるわけないと、わかっている。だってわたしは、あなたじゃないから。それをわかったうえで、私はあなたの気持ちをわかりたいと思う。だから相手の気持ちを想像する。自分に都合の良い想像ばかりじゃない。都合の悪い想像もたくさんする。「言葉にしなきゃわかんない」ってだれかがいう。それもわかる。だけどそんなときは、言葉にできない理由を想像する。言葉にしたら都合が悪いのかもしれない。言葉にしようか迷っているのかも。まだ言葉にするタイミングじゃない。明後日、言葉にするのかも。わたしには言いたくないのかも。いちいち聞いたりしないよ。あなたが言葉にしたくなるときが来るのを待つよ。もちろんそのときが来なくても良い。想像ばかりしていたらさ、臆病になっちゃったんだ。あぁかも、こうかも……って。真っ直ぐなのが取り柄だったのに。「もしかしてこう思ってる?」「わたしはこうしたら良いと思うんだけど」相手の気持ちを先読みしたような気になって、自分の気持ちを押しつけることはもうできない。あなたに嫌われたくないし、あなたを傷つけたくないからなんだ。想像する。百パーセントで。それはどこまでいっても、想像でしかないけど。

無題

2ヶ月前の出来事がなければ、今の自分はもっと前向きで積極的で、何もかも恐れず、どんなことにも挑戦してみようと外に繰り出して行けたかどうかを考えると、そんなことはないかもしれないけれど、そうであったのかもしれない、とも思う。哲学やあらゆる思想を学び知ることは、わたしのなかの世界の可能性を驚くほど広げてくれました。しかしそれと同時に、虚無感や俯瞰的視点、つまり世界を一歩引いた視点で見てしまう捉えてしまう考えを、私に根付かせました。以前からそれらは私の中にあったものの、最優先の視点ではなかったため、私は物事に対して積極的に、その世界に入り込んで感じとることができていました。しかし、2ヶ月前の出来事をきっかけに、消極的で俯瞰的視点が私のなかの最優先の視点に代わりました。どうして人には心があるんだろう。心なんてなければ良いのに。朝がくると夜が来てしまうのがこわい。そんなことばかりを最近の私は考えています。本気で言うわけじゃないけれど、すこし思うのは、哲学や思想に興じずに、楽観的に生きているほうが気が楽だったのかな、と。こんな自分はいやです。なぜなら、私の中には2ヶ月前までは最優先であった積極的で明るかった私の視点と記憶が、しっかりと残っているからです。日々葛藤しています。悲観的なことを考えては、「こんなこと考えちゃだめだめ、もっと楽観的にいこう」と考えを打ち消そうとします。しかし、表面では楽観的を装っても、やはり心は恐ろしいのです。私が悲観的なことを考えてしまう原因の不安はなくならないのです。こんな自分がいやだ。だけどたまに、何もかも恐ろしくなることがあります。そんな自分を肯定せねばとも思います。目を背けてはだめだとも思います。そしていつも最終的に思うことは、この不安に負けてはだめだということです。今日も不安な夜だった。あめよふらないで。